『コロナとバカ』

『コロナとバカ』

2021年2月6日 初版第1刷発行

 

著者名 ビートたけし

発行所 株式会社小学館

 

 

コロナが炙り出した、ニッポン人の「今」とは。

 

2年前、誰も予想だにしなかった世界を取り巻く情勢の急激な変化により、ニッポン人の「今」が露わになった。

 

「自粛警察」なる者が現れ、SNSによる、戦時中の「隣組」さながらの監視社会が復活した。コロナをむやみやたらに恐れたり、感染者を責めても意味のないことだが、そんな当たり前の常識でさえ、今のニッポンでは通用しなくなっている。

 

また、今回のパンデミックによって大打撃を受けた飲食業界や旅行業界を支援するために始まった「GoToキャンペーン」の抜け道を利用し、事もあろうに小銭を稼ごうとする国民まで現れた。この行為が「みっともない」ということに気が付かない人が多く、ニッポン人が総じて豊かになった一方で、昔はあった「品格」みたいなものが失われつつあることが分かる。

 

 

 

♡この本を読んで♡

たけしさんが世の中を俯瞰的に捉え、大きく構えて流れを見据えている印象を受けました。時代と供に、日本人の在り方が変わっていくのは仕方のないことです。しかし、どんなに貧しくても「心までは落ちぶれたくない」という誇りを持っていた日本人や、偉大なる規格外の “ スター ” が居た時代を見てきたたけしさんにとって、今の日本は魅力に欠けるものがあるかもしれません。

 

本書ではコロナの話だけでなく、芸能界の様々な不祥事についても触れています。たけしさんはそこに「心意気」や「ユーモア」を求めているように感じました。勝新太郎さんがパンツの中に大麻とコカインを隠し持っていたことがバレた際、「これからはもうパンツを穿かないようにする」とコメントしたという話には、思わず笑ってしまいました。

もちろん「人として」という部分についても説かれてはいますが、こういった “ なんだか憎めなさ ” みたいな愛嬌が今の日本には足りていないようにも感じます。

現代の「人を傷つけない笑い」についても、たけしさんの見解が記されていました。この、憎まれる以前にそもそも優しく受け止めてしまう今までにない笑いですが、受け手との一体感を持たせることに重きを置いた笑いは、爆発することなくいずれ飽和していってしまうんじゃないかと感じました。

 

また、ベルリン国際映画祭で、「主演男優賞」「主演女優賞」といった賞の男女の区別がなくなるというニュースや、小学校の「あだ名禁止」のニュースについての話も登場します。どうにも問題の本質からズレた対策というか、無理に均一化を図ることで新たな問題が浮上するような気がします。

無個性や、安易な「平等」を掲げるのではなく、もっとワクワクするような日本、延いては世界になっていって欲しいと願い、自分もまたユーモアを忘れない人間でありたいと思わされる1冊でした。

 

『ほんとに、フォント。 フォントを活かしたデザインレイアウトの本』

『ほんとに、フォント。 フォントを活かしたデザインレイアウトの本』

2019年3月8日 初版第1刷発行

 

著者名 ingectar-e(インジェクターイー)

発行所 ソシム株式会社

 

 

♡この本を読んで♡

デザインの仕事は、決められた写真に文字を載せることだと思っていました。

しかし本書を読み、デザインには幾通りもの可能性があることを知りました。

 

載せるフォント選びに始まり、文字の大きさ、色、透過性、

更には写真の大きさ、切り取り方、装飾の仕方―――

そして紙面全体から見た、文字と写真の余白バランス。

ちょっとした工夫で紙面の印象はガラッと変わります。

 

様々な知識と技術が詰め込まれた芸術作品が、街中に溢れているんだ。

そう思うと、何の気なしに見ていたポスターやリーフレットなどを、まじまじと見て研究するようになりました。

 

すぐに使えるテクニックを惜しげもなく伝授してくださる、素晴らしい一冊だと思いました!

『教育現場は困ってる 薄っぺらな大人をつくる実学志向』榎本博明

『教育現場は困ってる 薄っぺらな大人をつくる実学志向』

2020年6月15日 初版第1刷発行

 

著者名 榎本 博明(えのもと ひろあき)

発行所 株式会社平凡社

 

「授業が楽しい」とはどういうことか。

 

ベネッセが2015年に全国の小学5・6年生とその保護者を対象に実施した調査によれば、「他の教科と比べて英語はおもしろい」という子が71.5%、「英語の授業をもっと増やしてほしい」という子が59.1%、「他の教科と比べて英語は簡単に感じる」という子が47.9%などとなっている。

学校での英語活動が楽しいという子どもが、非常に多いことは分かった。

だが、そうしたデータを根拠に小学校での英語教育を推進すべきだとするのはとても危険である。

なぜなら、現在行われている英語活動は、簡単な英語を使ってゲームをしたり歌を歌ったりするわけで、いわば幼稚園でやってきたお遊戯を英語でやるもので、けっして勉強ではない。

表層的な「楽しい」「おもしろい」にとらわれすぎるとどうなるか。

大人になり社会人になったとき、実際に働いてみて、楽しいと思っていた仕事でちょっと苦しい思いをしたりすると、「思っていたのと違う」ということで離職を考える。そんな早期離職が少なくない。

 

知識詰め込みへの反動から、今では中高生や大学生の知識不足が深刻な問題となっているのではないだろうか。

昨今の教育の潮流のせいで、プレゼンテーションやディベートのスキルを訓練するような授業や研修を受けるばかりで、知識の吸収が疎かになっていて、思考が深まっていない。

知識受容型の教育から脱却し、主体的に学ぶ教育で考える力を身につけるというが、知識なしに考えるとはどういうことなのか。

本をよく読み、知識も多く取り込み、語彙を豊富に持つ学生の方が、抽象的な概念を駆使して思考を深めることができる。

 

日本人が堂々と自分の意見を述べることができないのは、日本文化においては認知的複雑性の高さに価値が置かれてきたからではないか。

自分の意見がしっかりあったとしても、人の意見を聞いていると、そう言いたくなる気持ちもわかるし、相手の視点から見れば、そういう理屈も成り立つように感じられるため、反論しにくくなる。

あるいは、自分の意見を言う際にも、それが絶対的なものとは思えず、別の視点から見れば違う理屈もあるだろうなと思うからこそ、自信たっぷりに述べることができない。

そう考えると、自分の意見を自信満々と述べる人に引け目を感じる必要がないことがわかるだろう。学校で学ぶ時点では、自信を持って自分の意見を述べるよりも、視野を広げ、もっと思考を深めるために、ひたすら吸収する姿勢を持つことが必要なのではないか。

 

かつてはキャリア教育などなかったが、今では当たり前のようにどの大学でも行われている。それは、フリーターやニートの増加、就職しても3年以内に辞める早期離職の増加など、就職先に定着できない若者の増加が深刻な社会問題になってきたことによる。

授業におけるキャリア教育の中心となっているのが、「好きなこと探し」を軸にしたキャリアデザイン教育である。

先がますます読みにくくなる時代に、将来のキャリアをデザインすることに、果たして意味があるのだろうか。

キャリア形成における偶然の要因を重視する「計画された偶発性理論」の提唱者である心理学者クランボルツが行った調査でも、18歳のときに考えていた職業に就いている人は、わずか2%しかいなかった。

クランボルツの「計画された偶発性理論」でも、従来は優柔不断とか決断できないというように否定的に評価されていた未決定の心理状態を肯定的にとらえ直し、心を開いた状態を維持することの大切さが強調される。

そして、どのような出来事が起こるかはコントロールできないが、たまたま起こった出来事への理解と対処の仕方が、その後のキャリア形成を大きく方向づけると考える。

偶然の好機を逃さないように、いろいろな力をつけるためには、先のことばかり考えずに、目の前の課題に没頭することが必要である。

また、偶然の好機にめぐり合う機会を増やすことも大切である。

改めて強調しておきたいのは、「今、ここ」に没頭することで、「今」を思い切り生きようということである。

先のことに気を取られずに目の前の課題に没頭することで、結果として力がついたり、納得のいくキャリアの道が開かれたりするのだろう。

 

できないことができるようになるのが成長であり、自分が成長しているといった実感や喜びや充実を生む。はじめから楽しいというようなことはなく、「できないこと」が「できるようになる」ことで楽しいと思えるようになり、それをすることが好きになる。

 

実学志向が薄っぺらな大人をつくる。

このところの教育改革は、実用的な知識やスキルの習得を重視する方向にどんどん向かっている。そうでありながら主体的で深い学びを重視するという。

教育現場に身を置くだれもが気づいていると思うが、子どもや若者を教育する立場にある者は、そのあたりの矛盾を認識し、深い学びへと導く覚悟が必要だろう。

 

 

 

♡この本を読んで♡

アメリカへの劣等感の表れなのか、昨今日本でも、アクティブラーニングへの取り組みを耳にする機会が増えました。

しかしそこに居るのが、知識の乏しい子どもたちや、アクティブラーニングを行うこと自体を目的とした大人であっては何の意味もありません。

この本には、「日本文化においては認知的複雑性の高さに価値が置かれてきた」と書かれています。これは日本人が「日本」という小さな国で、他者と共存しながら生きていくために身に付けてきた、繊細で、想像力豊かな国民性のように感じました。

しかし、これから行われようとしている、実用的な知識やスキルの習得を重視する教育改革によって、その素晴らしい能力は失われるのではないかと危惧しています。

他国への劣等感や焦りからではなく、子どもたち、更には豊かな日本の未来のために。

教育改革をされるのであれば、それを念頭に置いた上で進めて欲しいものです。

『教育の力』苫野一徳

『教育の力』

2014年3月20日 初版第1刷発行

 

著者名 苫野 一徳(とまの いっとく)

発行所 株式会社講談社

 

☆教育にはこれから何ができるのか―――

 

学校とは―――

ー昔ー  生まれ育った”習俗”を離れ、平等に一定以上の教育を受けられた

ー現在ー 学校自体が閉鎖的な”習俗”になってしまった いじめ等、様々な問題  

 

教育の”力”を最大限発揮できる構想・プラン

・学びの「個別化」「協同化」「プロジェクト化」

・子どもたちが多種多様な人たちと交われる空間作り

 

これからの「よい」教育のあり方とは―――

より”人間関係の流動性”に開かれた学校へ!

 

<自由の相互承認>

わたしたちは、自分が<自由>になるためには、他者の<自由>もまた、つまり他者もまた<自由>を求めているのだということを、ひとまず互いに承認し合う必要がある

 

<自由>の本質とは

<自由の相互承認>を十分に自覚した上で、自らが生きたいように生きられること

 

<公教育>とは

すべての子どもが<自由>な存在たりうるよう、そのために必要な”力”<教養=力能>を育むことで、各人の<自由>を実質的に保障するもの

と同時に、社会における<自由の相互承認>の原理を、より十全に実質化するためにある

 

 

☆「平等か競争・多様化か」の問い

 

<一般福祉>の原理とは

教育政策は、ある一部の人たちだけの<自由>を促進し、そのことで他の人たちの<自由>を侵害するものであってはならず、すべての人の<自由>を促進している時にのみ「正当」といえる

 

トリクルダウン理論新自由主義教育改革

早い段階から「できる子」と「できない子」を振り分け、「できる子」により多くの教育投資をすることで、この国を引っ張っていって貰おうという思想

<一般福祉>の考えが見られない

 

「絶対平等」を掲げる政策

「結果の平等」を重視するあまり、すぐれた学力を持った子どもたちの、より以上の学びの保障を過度に拒む

<一般福祉>の考えが見られない

 

「平等か競争・多様化か」の対立の解消に向けて

<一般福祉>の原理を底に敷けば、わたしたちは、<一般福祉>を達成するために、教育にはどのような「平等」が必要か、そして、どのような「競争」や「多様化」を容認あるいは促進すべきといえるのか、と問い合うことができるようになる

 

 

できるだけすべての子どもたちの「学ぶ力」を育んでいくために

☆①「学びの個別化」

木下竹次「新教育」の実践

いわゆる「大正自由教育」と呼ばれる教育運動

子どもたちが自発的に学び、また努力それ自体に意義を見出しながら学んでいける環境をつくることができれば、子どもたちはその学びをより充実させようと、むしろ自分を律することを学んでいく

―――「落ちこぼれ」を減らす

 

☆②「学びの協同化」

「競争」より「協力」「協同」の方が、高い生産性を生むという調査結果が多く報告されている

今日教師に求められている力量は、一人ひとりの学びを支え導くとともに、「学びの協同化」を促進する力

―――全体の学力を向上させる

 

☆③「学びのプロジェクト化」

ペーター・ペーターセン「イエナプラン教育」オランダにて普及

マルチエイジの学級編成で、互いに教え合ったり学び合ったりする

 

「学びの個別化」「協同化」に、学力格差を縮小する傾向があると言われている

 

 

 

♡この本を読んで♡

流動性の高い現代社会において求められることは、絶えず学び続ける姿勢です。

公教育の本質は、子どもたちが<自由の相互承認>の感度を育むことを土台に、<自由>になるための<教養=力能>を育むことにあります。

教師には、子どもたち一人ひとりの学びを達成させられるよう“支援”する力が求められます。そういった教師の育成を国レベルで本気で取り組むかどうかで、今後の日本は大きく変わると感じました。

どうか日本の大人たちが無益な論争をやめ、子どもたちが<自由>に生きられる力を育むことを念頭に置いた議論や改革を行って欲しいと強く願います。

すべての教師に求められることもまた、「完璧」な教師ではなく、多様な教師の「協同」であるのですから。

 

 

 

 

 

自分も世の中を動かす一人なんだ

『保育園義務教育化』

2015年7月6日 初版第1刷発行

 

著者名 古市 憲寿

発行所 株式会社小学館

 

 

古市憲寿さんの『保育園義務教育化』という本を読みました。

 

古市さんと言えば、TVで拝見する限り

・「社会学者」という肩書らしい

・主食はチョコレート

・前髪が長くて目に悪そう

くらいのイメージしかなかったのですが、

あと顔がめっちゃ私のタイプ

今回、彼に対する新たなイメージが加わりました。

それは、日本に住む一若者として、真剣にこの国の将来を考えている人。

というもの。

 

歯に衣着せぬコメントで、時にはお茶の間をヒヤッとさせる彼ですが、

こちらの本でも大胆な提言をしています。

この本のタイトルでもある『保育園義務教育化』というアイデア

文字通り、保育園(・幼稚園)を「義務教育」にしてしまえばどうか?

というものです。

 

保育園が「義務教育」となると、

国が本気で保育園を整備するため、待機児童問題がなくなるだろうとのこと。

更に、「お母さん」が子どもを保育園に堂々と預けられるようになることを、

利点として挙げています。

 

この本では、教育経済学に基づき、乳幼児期の教育の重要性も説いています。

良質な保育園へ通い、意欲や自制心といった「非認知能力」を育むことで、

その後の人生で「成功」する確率が高くなることが分かっているそうです。

学歴と収入が高くなる一方で、失業率や犯罪率が低くなる。

ということは、失業保険や生活保護受給者が減って、社会全体もトクをする。

格差が広がる日本だからこそ、「社会全体のレベル」を上げるための、

就学前教育の重要性を訴えています。

 

その他色々とタメになることは書いてあったのですが、

私がいちばん感銘を受けたのは、古市さんの「お母さん」に対する気遣いです。

彼が言うには、普通の女性は、子どもを産み「お母さん」となった途端に、

世間からは人間扱いされなくなり、一般の「人間」以上の規律を課されてしまう、

と言うのです。

そんな大袈裟な、と思うかもしれません。

しかし本を読み進めていく内に、自分もその厳しい世間の目の1人だと気付かされ、

ドキッとしてしまいました。

 

たとえば、今回古市さんが取材をされた、産婦人科医の宋美玄さんによると、

日本では産後ケアの重要性があまりにも認知されていないそうです。

確かに日本社会では、妊婦さんはすごく大事にされるけど、

子どもを産んだ「お母さん」の身体に対しては、

あまり気に掛けられていないように思います。

むしろ、子どもを少し誰かに預けてリフレッシュしようものなら、

批判の対象になりかねない風潮ではないでしょうか。

 

私はこの本を読むまで、コンビニにオムツが売っているのか、

2014年の時点で国土交通省

「ベビーカーは折りたたまずに乗車することができます」

と宣言していることすら知りませんでした。

また、労働力不足を補うための「移民法」に関するニュースと、働きたいのに働けない「お母さん」の問題を結びつけて考えたこともありませんでした。

あまりにも知らないことが多く、今まで世の中の「お母さん」に対するなんだか大変そうなニュースを耳にしても、どこか他人事のように考えていたことに気が付かされました。

 

もし保育園が義務教育化されたら、

「国が義務って言うから仕方なく―――」と言って、

堂々と子どもを保育園に預けることができるようになります。

この本で言う「義務教育」とは、たとえば子どもを週に1度1時間だけ預けてもいい、と柔軟に捉えているそうです。

定期的に自分の時間を持ちたいと思っている専業主婦の方や、

誰もが利用しやすい制度が理想とのこと。

 

古市さんの、お母さんが後ろめたい思いをせずに、子どもを保育園へ通わせることができる日本にしたいという、優しい願いを感じました。

そして、そもそも子どもを預けることに対して「後ろめたい」気持ちにならないような社会に、みんなで変えていかなければいけないと、考えさせられる一冊でした。